渡辺貞夫

渡辺貞夫

渡辺貞夫

サックスプレーヤー

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堂々履歴書

渡辺貞夫 堂々履歴書

エピソード
【ラジオの前にかじり付いた少年時代】
1933年栃木県宇都宮生まれ。
宇都宮の城跡で“冬はスケート”“夏はターザンごっこ”の少年時代。
薩摩琵琶師である父から琵琶を聞かされたが、“興味はなかった”
終戦後、ラジオ(FEN)から流れてきた「明るい音楽」は“衝撃だった”
毎日学校から帰るとラジオの前にかじり付き、夢中で聴いた。“ギターが買えなかったのでウクレレを買ってもらった”

【ミュージシャンを意識】
知り合いが映画館の支配人をやっていたこともあり、学校帰りに好きな映画を何度も観る事ができた。ある時観た映画のクラリネットのシーンに憧れ、父に頼んで“クラリネット”を買ってもらい、友人とトランペット・オルガンのトリオを組んだのが“この世界に入るキッカケ”
1年後、今度はビッグバンドの映画を観た影響でサックスを買う。

【運命の出会い】
1953年、横浜のクラブで仕事をしている時に、ジャズピアニスト秋吉敏子が昼の
ステージで出ていて“一緒にバンド組む?”と誘われた。“音楽でメシが食えるかな?”とはじめて“プロを意識した”
毎日ものすごく練習している彼女を見て“自分もやらねば”と思った。

【バークレー留学で学んだもの】
秋吉の後押しもあり、1962年29才のときバークレー留学のチャンスが到来。既に結婚していたが妻の大いなる理解に助けられアメリカに渡ることを決断した。
それまで、日本では“ジャズを理論的に教えてくれる人はいなかった”
基礎を教わり、新しいアレンジングを教わり“毎日が目からウロコ”の日々だった。

【フュージョン】
1972年、ケニアに行き“音楽作りが変わった”
アフリカの自然と人に魅せられ、動物の匂い・鳥の鳴き声からインプレッションを受けた。

【座右の銘】
「痛みの度合いは喜びの深さを知るためにある(チベットの格言)」―チベットに初めて行ったときから魅せられ“本をあさるように読んだ”
「痛み」は「努力」という言葉に置き換えられる。
自らプレシャーをかけ(目標を掲げ)、血がにじむような努力をした後に達成した喜びは格別である。
“自分はそういう生き方をしてきた”

【メッセージ】
―若いミュージシャンたちにー
“好きな世界に入ったのだから、精一杯、生ききって欲しい”
人それぞれ一生懸命やっていると思うが、“充分にやっているか?”
今は楽器もゴルフクラブも楽なものが多い。
“楽に出た音はつまらない”

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