津川雅彦(マキノ雅彦)

津川雅彦(マキノ雅彦)

津川雅彦(マキノ雅彦)

俳優・映画監督

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堂々履歴書

津川雅彦 堂々履歴書

エピソード
【華麗なる芸能一家】
1940年(昭和15年)京都生まれ。
祖父が〔映画の父〕マキノ省三と〔狂言役者〕の加藤伝太郎。
父は沢村国太郎、母はマキノ智子。父方の叔母に沢村貞子、叔父に加東大介。
母方の叔父にマキノ雅弘。
兄は長門裕之、義姉は南田洋子、そして妻は浅丘雪路。

【母から受けた溺愛】
兄貴が放って置かれたのに対して、自分は“母から「溺愛」された。文字通り、溺れるほど愛された。僕がコップだとすると、これに愛を注ぎ、もういっぱいで溢れているのに、それでも母は注ぎ続けた”
そんな母の教え。「お前貯金したら、惨めやで、墓場に金は持っていけへんで。生きているうちに使わなあかん、宵越しの銭は持ったらあかん」

【「津川雅彦」の名付け親は石原慎太郎】
“芸能一家という環境に育つと、自分のうちがよく見えず、隣の芝生が青く見え、社会部の新聞記者になりたい!”と新聞部がある早稲大学高等学院に入学。
高校に通いながら、『狂った果実』(石原慎太郎脚本)に石原裕次郎と共演し役者デビュー。
“石原慎太郎さんから、兄(長門裕之)のデビュー作『太陽の季節』での役名「津川竜哉はどうだ?」と言われたが、「せめて本名を姓か名前のどちらかに入れて欲しい!」と言い、「津川雅彦」になった”

【天国から地獄に】
“僕は顔がいい顔をしていたんで、ブロマイドが当時のアイドル(中村錦之助・大川橋蔵)を抜いて売れ行きが1番になり、天にも昇る気持ちだった”
一躍人気者になった弟を兄・長門裕之は快く思わず、津川は日活から松竹へと移籍。ヒットメーカー木下恵介監督の作品に出演するが、結果は大こけ。
“その後はもう、ただ奈落の底に転がり落ちるようなもので、不倫スキャンダルが発覚したこともあり、ついには全く仕事がなくなった”

【逆転の発想で悪役志願】
発覚した不倫スキャンダルは女性週刊誌で毎週のように表紙になり、“日本国民全員から嫌われ、意気消沈していた”
そんな中、テレビ時代劇『必殺仕掛け人』のディレクターから、「今、日本で一番嫌われているのだから悪役をやれ、悪役をやれば喜ばれる」とアドバイスされた。
“当時は、二枚目のスターが悪役をやるのは珍しかったから、みんなが飛びつき、
様々な敵役をして、いろんな殺され方をした”

【伊丹監督との出会い】
1984年『お葬式』に出演“僕は伊丹さんに出会い、セリフの入れ方が生半可だった自分が、徹底的にセリフを覚えるということを教えられ、役者として長持ちするような役者になれた”
“まな板の上の鯉になって、伊丹監督の言うことを全部かなえられる役者になることを目標にした”
“あれだけ役者に注文を出して、応えられるのは僕とノブちゃん(宮本信子)ぐらい”

【マキノ雅彦として】
“芸術映画じゃなくて、本当にみんなが喜ぶ娯楽映画を作るのが、客を入れるのが、 自分のプライドと言って映画を作れる人は、今の日本映画界にはいない”
“伊丹監督と同じように、逃げないでまっすぐ娯楽映画というものと向き合うのに、マキノを名乗ってよかった。”

【映画「次郎長三国志」そしてメッセージ】
 叔父である天才監督マキノ雅弘が撮った代表作を、早々に2作目で手がけることで、
“あえてプレッシャーを求めた”
“これを超えなくてはマキノを名乗った意味がない”

若い男性は、次郎長のように
“癒しじゃなくて尊敬できる男、男の中の男、男達(おとこだて)を目指して欲しい”

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