山田太一

山田太一

山田太一

脚本家・小説家

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堂々履歴書

山田太一 堂々履歴書

エピソード
【1934年東京・浅草生まれ】
浅草という土地柄、映画はいっぱい見た。このホテル(インタビュー場所)のあったところも国際劇場という大映画館だった。SKD(松竹歌劇団)がやっていたラインダンスなんかは、なんであんなに何度も観ることができたのかと思うくらい何度も見た。

【10歳の時に、湯河原へ疎開】
国の方針でこの一画(浅草)を取り壊して、空襲が来たときに類焼をここで防ぐとともに、逃げ場所にするということで強制疎開させられた。私の家は大衆食堂をやっていたんで、色んな丼ぶりや中華鍋とかを、新聞紙をひいて家の前に並べて売ったのを覚えている。

【父の仕事】
浅草では大衆食堂。湯河原では、シチューを売ろうとしたものの、そもそも材料がなかった。父は浪越徳次郎さんの指圧学校に通い指圧師になり、旅館街の旅館を廻って仕事をとった。自分は父の電話番をして客の予約をとった。
その後、名古屋辺りで、パチンコというものがはやり出したらしいというので、パチンコ店開業。ちょうど当時は新婚旅行で湯河原・熱海へ来るという時代で、街には人通りが多く、石油缶を帳場の横に置いておくと、お金がどんどんたまるくらい大繁盛した。自分はパチンコ台の裏側で玉の番、そして、玉磨き。

【1953年早稲田大学教育学部入学】
「僕は父以外の職業を知らず、自分のまわりには“サラリーマン”は一人もいなかった。唯一、見当が付く職業は“教師”で、大学卒業したら食べていかなければならないから“教師”になろうと思った。同級生の寺山修司さんは、青森から出てきた田舎の心細い学生で、僕も心細い学生だったので気が合って仲良くなった。

【松竹入社】
映画は好きでしたが、作る側にまわるなんてことは考えてなかった。しかし、いざ就職活動の時、東京都の教員採用試験の日を間違え“教師”を断念。学生課の人に「松竹の撮影所が助監督募集しているから行ってみろ!」と言われたのがきっかけ。父からは「ああいうヤクザばっかりいるような中で、お前なんかに勤まるわけない」と言われたが、入ってみると、皆、心優しかった。映画を1本撮る間、スタッフは“共同体”みたいになる。川の中に入るシーンでは『俺の係りじゃねえ』みたいな人はいなくて、みんなバーッと入って手伝うというか―。そういう空気はとてもいいなと思った。

【1965年脚本家として独立】
木下恵介監督の大ヒット連続ドラマ『記念樹』の脚本を、木下氏が入院中に、本人から勧められて手掛けることに。
僕には、はきはきしない弱いところがあるし、抜けたところもある。なんか、そういう人のほうが信頼できる気がする。だからバリバリ強くて、何でもこなしてしまう人の台詞は、自分には書けない。(黒澤映画と比較して)

【1976年「男たちの旅路」】
NHKが作家の名前を冠につけたドラマをつくろうということで、松本清張、平岩弓枝についで山田太一シリーズに。鶴田浩二をつかってくれれば何を書いてもいいと言われた。
戦後の平和な時代をみんな呼吸するようになったけれど、『戦後の幸福を享受すまい』と思って、結婚せず子供もいないで、一人で生きていく特攻隊帰りの人を書いてみようと思った。

【1977年「岸辺のアルバム」】
僕が考えているものと、テレビが作ろうとしているものが、ちょっと違うような気がしてきた時に、新聞社の方が「新聞小説を書きませんか?」と言ってきてくれた。
一戸建てを持つことが人生の最高の目標で、子供が大学に行くことがそんなに珍しいことではなくなり、父親が忙しく、“三種の神器”で奥様に暇ができた時代に、それでは何か満たされない“空虚”みたいなものを書いてみようと思った。

【1983年「ふぞろいの林檎たち」】
大学生がドラマを見なくなったという話を聞き、じゃあ、大学生を主役にして書けば、大学生が見てくれるだろうと。そこで有名な大学の学生にバイト料を払って話を聞いたが、あまり面白くない。それで、四流と言われる大学生の人たちに会いたくなって集まってもらったら、面白いんですよ。そちらの方が。
「何が嫌?」って聞いたら「学校どこ?って聞かれるのが一番嫌だ」って。これは面白いと思い、1回目の副題を『学校どこ?』 にした。

【現在のテレビドラマについて】
気晴らしの要素が多くなってきている。「人間ってこうなんだ」とか「こういうところがあるんだ」というようなことは、どうでもよくなってきているように思える。面白い話に傾いてきている。時代の要求がやっぱり変わってきている。

【家族とは?】
家族とは宿命性の絆を感じられるもの。家族以外は、利害・好き嫌いっていうものがあるけど、家族だけは“宿命”。親子は自分で選べない。『隣のお母さんがいい』って言ったって、そうはいかない。特別なつながりであるし、“希望”であり“絶望”。

【座右の銘「成長することは、言葉への不信感を身に付けること」】
言葉で言っていることと、気持ちというのはすごく違う気がする。人の内面では、気持ちを言語化していないと思う。言葉っていうものは、僕はあまり信じちゃいけない気がする。

【これからの若い世代へメッセージ】
10代、20代が一番素晴らしいというふうには思わない。ある年齢にならないとできないことというものもある。どの世代も面白いというか、それぞれの時代を呼吸している。どの世代も、自分を愛するっていうか、自信をもってやればいいと思う。

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