
北方謙三
作家



【父は船乗り】
1947年佐賀県唐津市生まれ。
“父が船長で1年のうち11ヶ月近くは帰ってこない。船が横浜に入ってくるので、ちっちゃいころは母親に連れられて、寝台車に乗ってカタコトカタコトと、長い時間かけて、横浜まで会いに行った”
【芝高校柔道部】
父が旧制中学のときに双葉山が巡業に来て「学校やめて、すぐうちの弟子になれ」と誘われたのが父の勲章。そんな父に「てめえのような軟弱な奴は!」といつもバチーンとやられ、“この傲慢な、くそ親父を何とかしてやっつけてやりたい”と思い、柔道部に入部。
【大学進学】
高校3年のときに、肺結核になる。健康診断書に「就学不可」と書かれたが、入学願書の中にある健康診断書に自分で「異常なし」とハンコを押して中央大学入学。
【全共闘運動】
大学に入った瞬間に、目の前で集団の殴り合いがおきる。全共闘運動のただ中に学生生活があった。いろいろオルグされる中で、正義は相対的なものにすぎないと思ったが、「でも面白そうだ。面白そうだから、とりあえず棒を持って行くか」って―。あの当時、全共闘運動というのは、何かやっぱりね、国家を覆したりできるのじゃないかという変革の可能性というのが、リアリティもって信じられていたんですよね。不思議なことにね。
【「男は10年」】
新潮で新人賞にノミネートされ「大江健三郎以来の学生作家」と評されるも“父は小説家という職業を全く認めていなかった”。雑誌ではスター扱いされても、出版社に持っていくと“全部ボツ”。10年くらい全然売れない状態で、まわりから「もう一回法律の勉強をして、司法試験を受けなおせ」などと言われていたときに、父から「男は10年。10年同じ場所でじっと我慢できるかによって決まることがあるんだよ」と。
【一番のファンだった父】
父60歳で急死。
遺品の片づけで父の会社に行き、机の引き出しの整理をしていたら、自分の本が刊行順に並び、既読。未読に整理されていた。
さらに、自分の本が始めて出たときに、父親が書店の店員に「2冊しか仕入れてないのか?金に糸目をつけないから入れるだけ仕入れろ」と言っていたことを後から知った。
【『弔鐘はるかなり』】
1981年出版。別にハードボイルドに取り組もうと思ったわけじゃない。編集者が帯に「ハードボイルド」と書いたんで、ハードボイルドになったわけ。ハードボイルドについて何も知らず、編集者に聞いて、チャンドラーとロス・マクナルドを何冊か読んだ。「これなら俺、書けちゃうよ」って思ってね。それで初めてハードボイルドを意識して書いたのが『眠りなき夜』。
【『武王の門』】
1989年出版。歴史小説を始める。
自分の小説がどんどん内面的なものに入り込んでいくのをどこかで止め、物語に回帰したかった。物語を書こうとすると、現代において展開するより、歴史に場を借りて書くっていうことのほうが、はるかにスケールが大きく書けるんですよ。
【万年筆】
常時使うものは4本くらい。所有しているのは100本。万年筆にはそれぞれ名前をつけている。一緒に頑張ってくれている万年筆に、話しかけたりもする。
“ペンだこ”に万年筆が当たったときに、脳の小説中枢みたいなのがぐっと働き始める。ボールペンでも書けないし、鉛筆でも書けない。
【メッセージ 青春期で一番大事なのは「自分で決めろ!」】
悩める若いやつに、俺はひとつだけずっと言い続けていることがある。それは・・・自分でで決めろと!色んな人に相談したり、友達と語り合ったりすることもあるだろう。でも最後は自分で決めろ!。そのことだけを心に持っていれば“孤独にならない”。
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